東京地方裁判所 平成6年(ワ)13309号 判決 1999年1月20日
原告
山城博史
被告
同和火災海上保険株式会社
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金一億〇〇八六万五四八八円及びこれに対する平成四年二月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、一時停止線のある道路から右折しようとした普通貨物自動車と、右方から直進してきた普通乗用自動車が衝突した交通事故について、後に、普通貨物自動車の運転者(所有者でもある。)が死亡し、相続人らが相続を放棄したため、普通乗用自動車の運転者が、普通貨物自動車の運転者が契約をしていた任意保険会社に対し、保険金の支払を請求した事案である。
一 前提となる事実(証拠を掲げない事実は争いがない。)
1 交通事故(本件事故)の発生
(一) 発生日時 平成四年二月二一日午後二時四〇分ころ
(二) 事故現場 埼玉県狭山市大字上奥冨一五七番地先路上
(三) 加害車両 森薫が所有し、運転していた普通貨物自動車(所沢四〇ち三六五四号)
(四) 被害車両 原告が運転していた普通乗用自動車(所沢五六ほ八九八八)
(五) 事故態様 川越方面から狭山方面に走行していた被害車両が、一時停止標識のある左方道路から走行してきた加害車両と衝突した。
2 原告の負傷内容・通院経過
原告は、事故後、次のとおり入通院治療を受けた(甲八の21~23・27・28・91・95・99・102・113・114、乙六)。
(一) 至聖病院
入院 平成四年二月二一日から同年五月三〇日(合計一〇〇日)
通院 平成四年六月一六日から平成五年五月一五日(実日数五日)
(二) 武蔵野総合病院
通院 平成四年三月一三日から同年四月六日(実日数三日)
(三) 埼玉医科大学総合医療センター
通院 平成四年七月二三日から同年一一月三〇日(実日数一〇日)
(四) 一心会坂本整形外科
通院 平成五年六月五日から同年九月六日(実日数二四日)
通院 平成五年九月七日から同年一二月五日(実日数一四日)
(五) 寿限無治療院
通院 平成四年六月から平成五年五月三一日(実日数五二日)
3 自算会による後遺障害の認定
原告は、平成五年九月六日、跛行、歩行中の頻繁な膝崩れ現象、筋力低下、筋萎縮、左下肢の知覚異常、上・下肢脱力感、右下肢などの疼痛、両上肢・手の痺れ感、排尿障害などの後遺障害が残存して症状が固定した旨の診断を受けた。そして、平成五年一一月二六日、自動車保険料率算定会(自算会)川越調査事務所により、この症状は自動車損害賠償保障法施行令二条別表に定める後遺障害等級第五級二号の「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に該当する旨の診断を受けた。
4 保険契約
森薫は、平成三年六月四日、被告との間において、加害車両を被保険自動車とし、期間を平成三年六月四日一六時から一年間、対人保険限度額を無制限とする自動車総合保険契約(PAP)を締結した。
5 責任原因
森薫は、加害車両を保有し、自己のために運行の用に供していたから、自賠法三条に基づき、本件事故により原告に生じた損害を賠償する義務がある。ところが、森薫は、平成四年一〇月五日に死亡した。妻である森良子、子である森一久及び森高行が相続権を有していたが、平成四年一一月一七日に相続放棄をしたので、森薫の弟である森武、妹である増本佑子及び飯田政子が相続権を有することになったが、いずれも、平成四年一二月二二日に相続放棄をした。その結果、森薫の債務を相続する者がいなくなったため、前記自動車総合保険契約の保険約款により、被告は、原告に対し、森薫が原告に対して負担する損害賠償債務について、保険金支払義務を負う。
6 既払額
原告は、本件事故による損害につき、被告から二五〇万八六〇五円、自賠責保険から一五七四万円の合計一八二四万八六〇五円の支払を受けた。
二 争点
1 相当因果関係のある治療期間と後遺障害の有無・程度
(原告の主張)
原告は、平成五年九月六日に症状固定の診断を受けた後も、リハビリのため、平成五年一二月五日まで坂本整形外科に通院した。この時点までが本件事故と相当因果関係のある治療期間である。
原告には、平成五年九月六日の症状固定時において、跛行、歩行中の頻繁な膝崩れ現象、筋力低下、筋萎縮、左下肢の知覚異常、上・下肢脱力感、右下肢などの疼痛、両上肢・手の痺れ感、排尿障害などの後遺障害が残存した。これらの症状は自動車損害賠償保障法施行令二条別表に定める後遺障害等級第五級二号の「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に該当する。
(被告の反論)
本件事故と相当因果関係のある治療期間は、最大限に見ても平成四年五月末日までである。
原告の腰部・下肢の症状は事故と因果関係がない。また、原告の訴えには、重大な点について誇張や作為があり、主訴自体の信用性が乏しい。したがって、本件事故に基づく後遺障害は存在しない。
2 損害額
(原告の主張)
(一) 治療費 一九二万七三五五円
(二) 文書代 八六五〇円
(三) 入院雑費 一二万円
(四) 通院交通費 九万五一一〇円
(五) 休業損害 二〇九万一二三八円
(六) 逸失利益 九〇二〇万一七四〇円
(七) 慰謝料 一六〇〇万円
(入通院分一五〇万円、後遺障害分一四五〇万円)
(八) 損害のてん捕 一八二四万八六〇五円
(九) 弁護士費用 八六七万円
3 過失相殺
(被告の主張)
森薫は、一時停止標識のある道路から交差道路を右折しようとし、一時停止標識で停止すると同時に右折の方向指示器を出した。そして、カーブミラーで左右の安全を確認しようとしたところ、ミラーではよくわからなかったので、少し進出して再び停止をし、左右の確認をした。そこへ、左方から三台の車両が進行してきた。そこで、森薫は、右方の安全を確認した上で時速約五キロメートルで右折進行したところ、左方から相当な速度で走行してくる車両を認め、停止したところ、右方から制限速度三〇キロメートルをはるかに超える速度で進行してくる被害車両を認めたが、衝突回避の措置を取る間もなく衝突した。
このように、原告は、見通しのよい直線道路で、制限速度をはるかに超える速度で走行し、前方の注視を怠って本件事故を発生させた過失があるというべきであり、その割合は、七〇パーセントとするのが相当である。
(原告の反論)
原告は、制限速度内の速度で進行し、前方を注視していた。本件事故は、森薫が、右折をするに際し、右方の確認を怠り、左方から車両が走行してくるのに右折できるものと軽信し、被害車両が接近してきているのに気が付かずに被害車両の走行車線に進入してきたもので、森薫の一方的過失に基づくものである。
第三争点に対する判断
一 相当因果関係のある治療期間と後遺障害の有無・程度(争点1)
1 前提となる事実、証拠(甲八の10、68~73、一二の1・2、一四、乙四の1・2、五、六、一二、証人白井康正、原告本人、平成七年一〇月一三日申立ての調査嘱託の結果、鑑定の結果)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(一) 原告は、平成四年二月二一日の事故後、直ちに至聖病院に搬送された。原告は、意識は清明で、麻痺はなく反射も正常であったが、胸痛及び頭痛を訴えており、そのまま入院した。
翌二二日、頭部CT及び頸椎X線検査では異常はなかったが、四肢のしびれが生じ、下肢よりも上肢の方が増大した。反射は四肢で亢進し、知覚及び痛覚も鈍麻した。この時点において、主治医は、第四頸髄の中心性損傷の可能性を考えた。
(二) 原告は、平成四年二月二七日に外科から整形外科に転科し、主治医から第四頸髄損傷(中心性脊髄症候群)のために頸部以下に麻痺があるとの説明を受け、頸椎牽引を行うとともに頸椎カラーの装着が開始された。同月二九日には、四肢のしびれ、知覚及び痛覚の鈍麻のほかに、残尿感及び残便感もあった。握力を計測したところ、左右ともに〇キログラムであり、主治医から頸椎牽引をしっかりするように注意を受けた。その後、CT検査、X線検査では特に異常はなく、握力が、左二キログラム、右三キログラムとわずかに回復してきたが、左下肢は、膝から下において、知覚、痛覚及び振動覚がいずれも消失して無感覚となるなどし、この時点で、主治医は、典型的な中心性脊髄症候群ではないとの印象を持った。同年三月一三日には頸椎MRIで異常は見られず、脊髄への明らかな圧迫は認められなかった。同月一六日には、再び握力が左右ともに〇キログラムとなったが、筋緊張は、四肢ともに正常であった。翌一七日には脳外科で診察を受けたところ、脳外科の医師は、脳神経には損傷がなく、下顎反射(病的反射)も陰性であることから、少なくとも、神経学的には脳幹より下部に病変があるとの意見であった。同月二三日には、握力が右一六キログラム、左七キログラムに回復し、病的反射は上下肢ともに消失したが、知覚障害は継続(特に左足の膝から下は、依然知覚及び痛覚ともにない。)していた。主治医は、左下肢の麻痺は腰仙髄レベルでの損傷による神経根症の可能性もあると考え、腰椎及び胸椎のX線検査をする予定を立てた。なお、放射線科の教授によれば、頸椎MRIは特に問題はない上、血管の異常も考え難いので、左下肢の症状は末梢神経障害ではないかとのことであった。
(三) その後、数日は、症状にこれといった変化はなかったが、握力は、平成四年三月二六日に左一四キログラム、右一一キログラム、同月二八日に左一三キログラム、右八キログラムであったものが、同月三〇日には左七キログラム、右八キログラムになった。同年四月になって脳外科医師に検査を依頼したところ、MRIでは頸髄に異常は認められないが、現在の神経学的所見によれば、やはり、第四または第五頸髄損傷がもっとも考えやすく、両下肢の深部腱反射に亢進が見られ、少なくとも抹消神経障害は考えにくいとのことであった。平成四年四月三日になっても、知覚障害には相変わらず変化はなく、上下肢の筋力は、それまで検査日によって差があったが、握力は左二一キログラム、右一四キログラムに回復し、四肢の拘縮予防及び筋力アップのため、同月一一日には車椅子での訓練、同月一三日には平行棒を使用してのつかまり歩行のリハビリを開始した。そして、同月一六日の歩行練習では、すでに左足を引きずる感じはなく、一七日には、杖がなくても左下肢を前方に出すことができ、T字杖での歩行が楽々できるようになった。翌一八日には起立もできたが、原告は、まだ左足の感覚がないと訴えており、主治医はヒステリー(精神的原因によって発現した身体的機能障害であり、症状は、感覚脱失ないし鈍麻などの知覚障害、失立ないし失歩などの運動障害、頻尿などの自律神経系に関する症状など多彩である。)の可能性を考えていた。また、この日の握力は左二〇キログラム、右八キログラムであったが、同月二五日には、左一五キログラム、右八キログラムと低下した。なお、至聖病院としては、リハビリを開始するにあたり、原告には、二か月絶対安静が続いているのにあせりや治そうとする意欲が見られないこと、脳神経テストで異常がなく病的反射も見られないこと、深部腱反射、筋緊張、筋萎縮は左右に差がなく、左下肢の感覚障害は解剖学上説明できないこと、筋力についても、重力に抗さない肢位で動きがないのに、重力に抗する肢位で動きがあるとか、検査数値からすれば歩行時に膝折れなどが生じなければおかしいのに普通に歩行しているとの疑問があること、握力が検査日によって極端に異なることなどの事情から、原告の症状は精神的なものによる機能障害と考え、リハビリとしては、精神的アプローチを中心として訓練していくとの方針を立てていた。
原告は、その後もリハビリを続け、外泊もできるようになり、同年五月一六日には、主治医が原告の母親に対し、頸髄損傷と考えられるが、左下肢の知覚消失の原因は不明であり、精神的なものが関与している可能性があると説明をした。そして、原告は、同年五月三〇日に至聖病院を退院した。
(四) 原告は、その後、二、三回至聖病院へ通院した後、平成四年七月二三日から、埼玉医科大学総合医療センターに通院するようになった。原告は、ここでも、左下肢の感覚がないと訴え、筋力テストにおいても、左下肢は筋力がまったくなかった。ところが、左足を引きずって歩くものの、尖足(足首が上がらず足先が垂れる状態)はなく、医師は、ヒステリーを疑っていた。原告は、同年一一月三〇日まで合計一〇日間通院した。
原告は、平成五年六月五日に、坂本整形外科に通院するようになった。そして、合計二四日間通院した後、跛行、歩行中の頻繁な膝崩れ現象、筋力低下、筋萎縮、左下肢の知覚異常、上・下肢脱力感、右下肢などの疼痛、両上肢・手の痺れ感、排尿障害などの後遺障害が残存して症状が固定した旨の診断を受けた。そして、自算会川越調査事務所は、原告には、頸髄損傷により常時杖歩行による跛行や、歩行中膝くずれ現象等があり、筋力低下、筋萎縮、病的反射、腱反射亢進等の頸椎不全損傷に障害が認められるので、これらを総合的に判断して通常人の四分の一程度に労働能力が低下しているものと考え、原告に残存した症状は、自賠法施行令二条別表第五級二号の「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に該当すると認定した。
(五) 東京医科歯科大学神経内科医学博士である横田隆徳は、被告から依頼されて作成した意見書において、次のとおり意見を述べる。
画像診断上は、神経系の障害は明らかでないが、四肢の腱反射が両側で亢進しており両側椎体路に外傷に起因する機能障害が生じたことは間違いない。その部位は、上腕二頭筋反射が急性期に亢進していたことから第四頸髄より上位であると思われる。おそらく、外傷による衝撃で脊髄に動的な障害が与えられ、循環障害などにより脊髄の機能障害が生じたと推定される。
もっとも、神経系の器質的障害による脱落症状とするには、<1>筋力が、外傷による脊髄症の症状の変動レベルをはるかに超えるほど日によって極端に変動する、<2>平成四年一一月二五日の時点では、左下肢の筋力はすべて筋収縮すら見られない完全麻痺であるから、装具なしに杖歩行は困難であるし、足首が上がらない尖足(垂れ足)になるはずであるのに、T字の一本杖で歩行することができ、尖足も見られない、<3>左下肢の完全運動麻痺及び全感覚脱出を説明する脊髄の障害部位が、脊髄の横断面において島状にとびとびであり、外傷による障害としては不自然である上、左下肢が全廃であるのに対し、右下肢は正常という極端なもので、神経学的には脊髄障害部位としては全く説明できない、<4>下肢における運動麻痺及び感覚脱出は、左右で全廃と正常という極端な差があるのに、腱反射、筋緊張、筋萎縮などは左右差がない、といった矛盾があり、原告の症状はかなりの部分でヒステリー性のものと考えざるをえない。
(六) 鑑定人は、原告の症状について、次のとおり意見を述べている。
鑑定人は、平成九年一月二七日に原告を診察したところ、原告は、左下肢の知覚障害、頸部痛、腰痛を訴えていた。鑑定人が検査をした結果、左下肢について、十分足の指を上げることができなかったり、触った感じについて、感覚が鈍いとか、針で突いても痛くないと答え、筋力低下、左第一腰髄神経以下触覚鈍麻、痛覚脱出の所見は得られたが、MRIやX線に異常所見はなく、腱反射や伝導速度も正常であった。
原告が答えた内容を前提にする限りは、筋力が減退しているから歩行が不自由であると考えられるので、症状は、自賠法施行令二条別表第五級二号の「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの」か、同表第七級四号の「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に該当するといえる。しかし、鑑定人としては、原告が答えた検査結果を合理的に説明することは困難であり、症状は、本件事故と関係がないものと考える。理由は次のとおりである。
筋力低下の原因としては、神経系統の障害か筋肉の萎縮が考えられる。まず、神経は電気で動くので、神経系統に障害があると、波形に異常が出たり、伝導速度が低下したりする。原告は、筋電図による検査において、若干の異常波が計測されているが、神経伝導速度も脊髄内神経伝導状況も異常がないので、神経系統に障害があるとは考えにくい。次に、筋肉の萎縮は、使用しなかったことによる萎縮(廃用性筋萎縮)が考えられるが、原告の左右の筋肉の周径には差異がないことから、筋肉を使っていたとしか考えられない。したがって、こうした検査結果からすると、筋力低下の原因は見あたらない。また、事故以前から腰痛、あるいは、椎間板ヘルニアなどがあって、本件事故でそれが悪化したとすれば、筋力検査及び筋電図検査の結果を合理的に説明できる可能性はあるが、そうした病変の存在はわからないし、座っていて事故に遭ったことからして、腰椎への影響はあまり考えにくい。
このように、原告の下肢の症状は合理的に説明できない。そして、現実に、原告が杖をつかずに歩くことができることを鑑定人や看護婦は目撃している。そして、一般に、中心性頸髄不全損傷であるとすれば、肩から上は上がりにくいが、首から下はまったく正常であるなどの症状を示すはずであるが、原告の症状はそれに合致しない。したがって、中心性頸髄不全損傷ではないと考えられる。当初は、上肢に障害が見られたので、その時点で医師が中心性頸髄不全損傷を疑ったことは理解できる。しかし、中心性頸髄不全損傷とすれば、生涯回復は困難であるが、上肢の症状が解消されたことからして、中心性頸髄不全損傷ではなかったといえる。握力が低下したり、反射が亢進していることからして、当初、脊髄の中心部に何らかの障害があったと推測できるが、脊髄は骨の管の中に入っており、衝撃によってその骨の管にぶつかることがあり、そうすると、脳震盪と同じく、脊髄震盪(脊髄ショック)が生じるので、原告の当初の上肢の症状はおそらくこれによるものと思われる。その意味では、当初は脊髄中心部に障害があったということができるが、これによる症状は通常二週間から二か月程度継続するにとどまり、いずれにしても、下肢には関係ない。なお、心因的要因が存在することは想定される。
(七) 原告は、昭和四二年一〇月二四日生まれで、本件事故当時は、法政大学経済学部夜間部の一年生であった。原告は、本件事故直前の平成四年二月一九日に、株式会社古西電機に採用され、同年三月二日から出社する予定であったが、本件事故に遭ったため、出社することができなかった。古西電機は、東京都品川区南品川に所在し、当時、原告は、片道合計三時間ほどをかけて通勤した。その経路は、埼玉県川越市の自宅からバスでJR埼京線の川越駅へ向かい、そこから新宿駅まで埼京線に乗車し、JR山手線に乗換える。そして、品川駅まで乗車した上で、さらに京浜急行に乗り換えで青物横丁駅まで乗車し、そこから一〇分から一五分ほど歩くというものであった。ところが、原告は、埼玉医科大学総合医療センターへの通院が終了した平成四年一二月から、古西電機に通勤するようになり、それから一年間、通勤途中の階段を踏み外し、怪我をして二か月ほど入院をしたことのほかに、約四〇日ほどの欠勤をしたものの、通勤を続けた。そして、大学を卒業する前年である平成六年一一月一日からは、ニッポンリーバBVに採用になり、通勤するようになった。この会社は、JR山手線渋谷駅から徒歩二、三分の場所にあり、原告は、埼玉県桶川市の自宅からJR高崎線北上尾駅まで二〇分ほど歩き、池袋駅まで高崎線に乗車し、そこで山手線に乗換えて渋谷駅まで乗車し、その後の徒歩を含めて一時間二〇分ほどかけて通勤している。平成七年四月二一日までの間に、体調不良で休むこともあったが、それは、有給休暇を利用した日も含めて九日間であった。
平成七年四月当時、ニッポンリーバBVで仕事をするに際し、T字杖をついたりつかなかったりしており、コピーを取りに行くのが遅かったり、異なる階との間の移動に不便があった。また、一か月に二、三回、悪天の場合はさらに頭痛があるし、肩こりや腰痛もあった。指の感覚も少し鈍く、重い物を持つことができず、トイレにいっても残尿感があってすっきりしない感じであった。
2 これらの認定事実によれば、原告に残存した症状について、至聖病院や埼玉医科大学総合医療センターの主治医らは、その原因として頸髄損傷の疑いを持ちながらも、特に左下肢の障害については、それでは明確に説明できないとの認識も有していたものであり、埼玉医科大学総合医療センターにおいては、最終的には、むしろ、ヒステリーが主な原因である可能性が高いと考えていたことが窺われる。原告が力の出し入れをする筋力検査の結果においては、治療当初から、鑑定時に至るまで、筋力に問題がある結果は出ているものの、筋力がまったくない時期や低下している時期があったり、歩行の特徴がそれに合致しなかったり(筋力がないときにできないはずの杖歩行をしたり、特徴である尖足が見られない。)、神経系統の障害を調べる検査結果とも合致しなかったりするなどの問題がある。鑑定時においては、長期間にわたって杖を使用していることからして比較的考えやすい廃用性筋萎縮の可能性も、左右の筋肉の周径差がないことから疑問といわざるを得ない。そして、まだ、通院中に、すでに片道三時間もかけての通勤を開始したり、症状固定後に新たな勤務先に採用され、ほとんど欠勤することなく一時間二〇分もの通勤を続けていることや、鑑定人が現実に杖なしで歩行できるところを目撃していることを併せて考えると、そもそも、原告が訴える症状が、真実そのとおりであるか否かについてさえ疑問があり、いずれにしても、症状を裏付ける器質的損傷は認められないということができる。
また、それ以外に、現在も原告に残存している症状は、頸部痛と腰痛であるが、平成七年当時の会社勤務において、頭痛はともかく、すでに頸部痛が存在していたか否か明らかでなく、いずれにしても、事故から五年以上も経過して残存するものであれば、何らかの器質的損傷があると考えるのが合理的であるが、それを認めるに足りる証拠はない。また、坂本整形外科での後遺障害の診断において診断されていた他の症状は、原告が、鑑定人の診察において、それを訴えていないから、それは解消されたか、あるいは、ほとんど問題はなくなったものと推認できる。
このように、症状固定時の後遺障害診断において、原告に残存したとされる症状は、いずれも、それが本件事故に起因することを合理的に説明するのは困難であるか、それ以外は、現時点において、ほとんど解消されたものということができる。そして、原告が、現実に左下肢を右下肢と同程度に使用している可能性が高いことからすると、原告が訴える症状の内容は、はたしてどこまで真実であるのか必ずしも疑問がないではなく、ある程度は真実であるとしても、原告が通院中、ヒステリーの可能性を考えていた主治医が複数いること、意見書を作成した医師及び鑑定人もその可能性を否定していないこと、原告が入院中も治そうとする意欲が見られないと評価されたり、握力の数値などに見られるように検査結果が不自然に上下したりしていること、原告が訴えている症状が、知覚障害、運動障害、自律神経系の障害などヒステリーの特性として挙げられる症状の範疇に含まれていることに加え、先のとおり、症状が、他覚的検査結果から説明できないことを併せて考えると、原告の症状は、もっぱらヒステリーを原因とする可能性が高い(しかも、特に、左下肢の状態に関しては、さらに、ここに誇張が含まれている可能性も捨てきれない。)ということができる。
したがって、原告に、本件事故に起因する後遺障害は認められないというべきである。もっとも、自算会川越調査事務所は、後遺障害を認定しているが、認定理由からすると、右に検討した数々の疑問を払拭できるものとはいえないから、その認定内容は採用できない。
また、原告は、ヒステリーが原因であるとしても、原告自身は、本件事故により、訴えている内容の症状を自覚するに至っているのであるから、心因性の要素が介在するとして、民法七二二条の類推適用により減額されることはともかく、本件事故に起因する後遺障害として認められると主張する。
しかし、既に検討したとおり、原告の訴える症状がすべて原告が自覚しているとおりであるかは疑問があり(例えば、左下肢を右と同じように使用している可能性が高いことはすでに指摘したとおりであり、それにもかかわらず、原告は、杖の使用を訴えている。)、それをさておくとしても、原告の症状は、事故が発端になっているとしても、残存した時点ではもっぱら心因的要因のみに基づいている可能性が高い上、他覚的な裏付けがなく残存しているものとしては、通常予測し得る内容をはるかに超えるというべきであるから、本件事故と相当因果関係を認めることはできない。
3 ところで、原告が請求する金額から、逸失利益と、慰謝料のうち後遺障害分を除いた残額は、弁護士費用を含めても、一四四一万二三五三円にとどまるから、これがすべて認められたとしても、原告に対し、これを上回る一八二四万八六〇五円が支払われているから、既に過払いとなっており、損害賠償請求権は存在しない。したがって、争点1のうちの相当因果関係のある治療期間、争点2、3について判断するまでもなく、原告の請求は理由がない。
二 よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 山崎秀尚)